服装で目立ちましょう!

日本人って服装の色が地味だと思いませんか。もちろんアース系、黒などの色はしっくりくるものが多いのですが、国外の環境にいる場合、そして特に日本人の黒髪、黒目、背の低さを考えると、もっと色を使って、ぱっと目立つようにしたほうが印象が良く、国際社会で活躍する上で役立つと思います。これは特に女性へのメッセージです。「目立たなくていい」「本物は見た目ではなく中身」とおっしゃる方もいるかと思います。それはもちろんそうです。が、この現代のいろいろなことがすごいスピードで動く時代、みんながみんな速足で忙しい時代、ぱっと見の「印象」、英語ではハロー効果とも言いますが。。。ってとても重要です。競争社会でちょっとだけ、ほんのちょっとだけ上に出れる人が勝つ社会、それに服装やその色で優位に立てるのであれば、ちょっと努力すればよいと思いませんか。

しかしもともと着物など見ると、いろいろな色が使われてて、しかも原色や「うわー、素敵!」って思うような刺繍や染物が施されていて、日本は本来こういう文化だったのに、どうしてああいうリクルートスーツのような、均一型の黒、グレー、茶色オンリーな服装が広がってしまったのでしょうか。みんながみんな一緒に見えるし、国外でそういうスーツ姿の日本人の方々を見ると、どうしても「そんな地味な、ある意味貧乏そうに見える服装しなくても。。。。」と感じる時がよくあります。黒のスカートやズボンにしても、例えばシャツは赤や青にしてみる、グリーンのジャケットにしてみる、ちょっと目立つスカーフをさっとかけてみる、などでかなり印象がかわります。黒髪で見えなくなってる小さなイヤリングより、ちょっと髪をまとめてキラキラ光るイヤリングをつけてみるとかなり受けがよくなると思います。ぜんぜん派手ではないです、国際社会では普通です。

だって、背が高くすらりと綺麗な外国人がまわりにごろごろいる中で活躍する。。。ちょっとみなり、みてくれに気を使ってみませんか。それで日本人の女性の美を世界に発信する。あ、東京都の小池知事やNHKのニュースキャスターはとてもお手本になると思います!

 

ランチや夕食会で。

海外で仕事をしていると、ランチや夕食を仕事先の人たちとすることが多いです。ちょっとしたホテルで朝ごはん、ってこともあります。お昼はお弁当ということもありますが、どうせ仕事で家の外に出ているし、食べるということは人間誰にとっても必須事項なのだから、時間を有意義に使って仕事先の人たちとランチや夕食をし、関係を深めていく、人間関係を深めて仕事をスムーズにする、またちょっと仕事の交渉や合意をとりつける、ということもあります。もちろん、日本国内にいても「接待」という概念はありますが、ちょっと違うのは、接待する側と接待される側という関係ではなく、かなり対等な立場で、「一緒に食べませんか?」くらいの軽めの感覚ってことでしょうか。もちろん、これがもっとフォーマルになることもあれば、またあるいは実際家で家族も一緒に、ってこともあります。

私は昔海外出たてのころは、こういう場での会話が苦手でした。特に日本で育った女性、また特に私くらいの世代は、「女がでしゃばるな。静かにしていなさい」と言われてきて育ったこともあって、こういう場で話すのはとても勇気がいる。。。家やプライベートでは大声で話まくりますが。。。笑。「大和なでしこ」ごとく静かに、ちょん、と座っているだけ、いるだけ、なんてこともありました。だけどある日外国人の友人に言われたのです。「日本人の女の子、って感じで何も言わなくおとなしくしているのは良くない。それじゃいないのと同じ。存在感をアピールして、自分が思う意見を言うべきだ」と。

それはそうですよね。だけど、英語を聞き取るのに精いっぱいで、自分から何かを言うのは本当に難しい。。。で、気づいたことがあります。それは、「自分が会話の中心になること」です。誰かが話しているトピックについてコメントするのではなく(もちろんそれも重要で、上級レベルです!)、自分から話題を提供してみる。そうすると、意見をいう人たちが私に向かって、私の目をみて言ってくれ、私が会話の主導権を握ることができるのです。私が議長です。これには驚きました。私の今での会話戦略でもあります。

ただこれをするには、いろいろなことを知ってないといけません。幅の広いトピックを知ってないといけません。話題豊富でないといけません。今世界で起こっていることにも熟知してないといけないし、日ごろからの努力が必要です。また前もって誰と食事をするかが分かっていれば、例えばその人の国で起こっていることや、文化について勉強していきます。その国の有名な著者や作家の本に目を通したりもします。

これから世界に出ていく日本の若者たち、とくに女の子たち、勇気をもって話しましょう。会話の主導権を握りましょう。会話に豊富であるよう日頃努力しましょう!

国際社会の社交辞令の挨拶「にっ」

日本人同士だと、仲が良ければ良いほど挨拶は軽い、と思いませんか?「よっ」とか「元気?」とかで軽く済ませて、会話の本題に入る。。。と。逆に、あまり知らない人や、目上の人などなど、いわゆるフォーマルな場合、挨拶が結構長くなる。。。これって、国際社会では逆だと感じます。仲が良い友達とのほうが、ハグしたり頬にキスで挨拶し、「会えてうれしいわあ」という態度を表立って出す、会話を弾ませる、でないと逆に「あれ?私のこと嫌いなのかしら?」と思われてしまうんです。で、知らない人の場合、紹介されるまであまり話さない。。。。

が、です。ここで出てくるのが、「にっ」です。日本人がほほ笑む、口を開けて、歯を見せてのスマイルではなく、口を閉じたまま、歯を見せないでやる「にっ」です。知らない人、あるいは同じ建物やエレベーターなどですれ違う場合など、この「にっ」が必要なんです。大切なんです。特に、スマイルしないと愛そうが悪いと思われがちな、日本人を含めたアジア人には大切なんです。この「にっ」によって、いわゆる中間的なスマイルを見せ、「あなたに悪意はありませんよ」という暗黙の了解のメッセージが送られる、日本社会の感覚での「ごきげんよう」的な挨拶なんです。

日本人を含めたアジア人(特に東アジア人、中央アジア人。。。かなあ)は顔の作りがどうしても平だから、意識してスマイルしないと感情が外に出にくい。。。時には怒ってるようにも取られる。。。でも、逆に口を開けて、歯を見せてスマイルすると、「何がおかしいの?」と誤解されてしまう。これから国際社会に出ていく日本人の方々(特に私は日本人の若い女性たちに向けたブログを書いていますが。。。)、気を付けてみてください。で、是非この「にっ」を実践してみてください。必ず好印象受けます!

キャリアと子供を産むという選択

女性がキャリアを積んでいく上で少なからずも考えるのが子供を持つべきか、ということ。子供を育てるのは本当に大変だし、お金もかかります。大切な会議が入っているときに限って、子供が病気になったり、やりがいのあるプロジェクトを抱えてるときに限って妊娠してしまったり。かなり改善されてきたと言え、日本また世界はまだまだ男社会で、また男性の育児参加が増えているとは言え、子育てや家事の多くはどうしても女性負担になってしまうのが現状。子供が小さいときはどうしても、母乳をあげたりとか、生物学的に母親がとても必要。日本はまた、北欧諸国と比べても、保育園が全然足りていない。。。ヨーロッパの友人が、その国の保育園ではご飯も食べさせてくれ、おむつも提供され、お風呂にも入れてくれる、また夜9時までオッケーと言ってたのを聞いて全くビックリでした。またヨーロッパ以外の国でもメイドや子守(ベビーシッター)をかなり普通に、また金銭的にも安く利用できるから、子育て、家事、キャリアを両立しやすいシステムができている。。。。日本はまだまだ整備されてません、残念ながら。。。。

この状況下で、また今まで自分が積み上げてきたキャリアを考えると、多くの女性が子供を産むという選択肢を諦めてしまう、か、遅らしてしまう。。。か、気が付いたら時期が過ぎていた。。。という感じではないでしょうか。もちろん、子供をいつ産むか、何人子供をもつか、という決定は個人に与えられた権利、人権だと思います。子供を産まないという選択肢は、当然尊重されるべきです。子供がいなくても幸せな女性、夫婦はたくさんいるのも事実です。

ただ、ここで書きたかったのは、あまりにも多くの女性が、「子供が欲しい!」と思ったときにはすでに時期遅し、になってしまってるということなんです。様々な理由はあると思いますが。。。子供を産むには時期がある、と言うことなんです、生物学的に時期を超えると、妊娠しにくくなる、また出産に関するリスクが相当高くなる、と言うことなんです。皮肉にも、キャリアを積んでいる年齢は、子供を産んで育てる上での適齢期でもあるんです。これをかなりの女性が日々の生活やキャリアに忙殺され、忘れてしまいがち、と言うことなんです。実際、子育ては人生において「産まれてきてよかった」と思える時間でもあるし、子供はあまたの幸福を親に与えてくれる。親も子供と一緒に成長し、子孫を残すという意味でもこの世に生まれてきた意義のようなものを見いだせる。。。「子供は神様へのボランティア」と誰かが言ってましたが、それもその通りだと思います。

。。。ので、是非将来キャリア有望な女の子たちにアドバイスしたいのは、子供を産むという選択肢をキャリアを積んでる時期にちゃんと熟慮しておきましょう、ということなんです。最近は妊娠技術が革新して卵を凍らせておく、ということもでき、不妊治療もかなり進んでいる。。。けど、そういった方法や治療には労力もお金もかなりかかる。。。。夫婦の関係にも影響してくる。。。。後で後悔しない人生設計、キャリア設計をしましょう。

(専門分野以外の)特技を一つもて!

昔若いころ、とある国際事業養成講座(?)にお世話になったことがあります。あの時学ばせて頂いた国際相互理解、国際経済、国際政治、文化交流といった分野はその後とても役に立っていると実感します。その中でも一つとても、とっても役に立った教えがあります。それは「(専門分野以外の)特技をもて!」ということです。

国際舞台に立つ日本人は、それぞれ専門分野がありますね。それが経済だったり、経営学だったり、国際政治だったり、またあるいは、スポーツや芸術という分野に幅広いと思います。ただその自分の専門分野以外に特技をもて、というのです。例えば、それがギターとかピアノ、それこそカラオケやダンス、ウクレレ、絵画、習字などなどです。

日本人って何に対しても完璧主義で、趣味でもプロレベルでないといけない、一人前じゃない、人様に見せられない、披露するなんてとんでもない、という風潮がないでしょうか。だけど、国際社会に出てみると、世界の人たちはみんなそんなに完璧主義を求めてないけど、自分の専門分野以外のことで熱中して楽しんでるのです。何より「楽しむ」ことが大切で、ストレス発散にもなりますよね。なので、プロレベルでなくても、自分が楽しんでいる趣味を人前で披露すると、まず「ワオ」となって、自分を覚えてくれ、人脈が広がることが多いです。普段なかなか静かで目立たない日本人でも、そうやって自分の「特技」を披露すると結構楽しんでくれて、感謝されます。

これからの若い日本人の女の子たち、これから国際社会で活躍しようと考えてる女の子たち、どこかでこのこと心の中に溜めてみてください。将来必ず役に立ちます。国際社会では、目立って、存在意義を示していくこと、とっても大切です!あ、そういえば、先日も安倍首相がゴルフ外交してました。。。ね。笑

 

大相撲夏場所を前にヘイトスピーチについて

いよいよ大相撲夏場所が始まりますね。先場所は横綱稀勢の里関の奇跡的かつ感動的な優勝で大変盛り上がりました。あの時のケガの影響が今場所危ぶまれますが、私たちの期待に応えてくれると信じています!

さて、稀勢の里関の横綱昇進と優勝と、長年日本人横綱が不在だったこともあって、国内で熱狂的なフィーバーになっているのはとても理解できます。私自身も稀勢の里関の大ファンです!ただ、先場所、稀勢の里vs照ノ富士戦で報じられた、照ノ富士関に対する「モンゴル帰れ」のヤジは受け入れがたいものがあります。土俵に上がれば、日本人であろうと何人であろうと平等な力士。外国人力士も、言葉の分からない異文化で日本の細かい伝統やしきたりを一心に学んできた。。。。それがどれだけの、並々ならぬ努力であったか。。。また外国人を国技に受け入れてきた日本相撲界もそのオープンな考え方や姿勢を評価されるべきだと思います。しかし、日本人力士を応援するあまり、一戦を超えて品のない、外国人に対する差別的なヤジは聞き入れなりません。国際社会では、これを「ヘイトスピーチ」として人権問題の一環と見なされます。先日サッカーで同じようなことがあり罰金を課していましたが、そのような対策が取り入れられても良いと感じます。

日本人はそのやさしさ、寛容さ、礼儀正しさ、で世界で知られていると思うのです。これは、世界で活躍する上での日本人の誇りです。このような国技における悪質は言語は是非とも日本人として自制すべきで、日本人の「心」からかけ離れていると思うのです。

メール、SNSのメッセージ

21世紀に入ってからのネットの普及率は目覚しい。。。どんどん、ぐんぐん革新されていって、今まで紙に書かなければいけなかったことがデジタルでできるようになりました。ネットショッピングから銀行口座の扱い、また簡単にネット上に意見を言える。民主主義あってのネット社会だと思います。世界でも途上国や民主化がまだ遅れていがちな中所得国ではネットが規制されていたり、ネットを自由に使えるインフラが整備されていなく、「デジタルギャップ」が世界で起こってしまってると思います。様々な機会にアクセスできないという、デジタル分野での貧困化です。そんな中、ネットが自由に、また規制なく使える日本は実に平和な国だ、と感謝する毎日です。

ただ、便利な一面、メールやSNSのメッセージなどはかなりのリスクも負っています。簡単に書けるのですが、一回ネット上に出てしまうと記録が残る。慌てて、あるいは後から公開して消してしまっても、どこかに残ってしまってるのですよね。これって、これからの時代を担う若い世代、特に私は女の子たちを応援したくてこのブログを開設したわけですが、そういう世代にとってマイナスになることがあり得るということを認識すべきだと強く思うのです。

例えば一時的な感情の高ぶりで書いてしまった。。。書いたときはスッキリしたけど、後から、例えば何年もたってから、後悔してしまう、ってこともあり得ます。特に、人を痛烈に批判して、またかなりきつい言葉で表現してしまったときなどは、後悔してもしきれない、取り返しのつかないことさえありうる。ネット上に書き込むことは、かならずしも悪いことだと思いませんが、書くことでどういったデメリットがあり得るのかとういう、想像性をもって、しっかり考えて行動することが大切だと思います。将来の可能性に汚点をつけないように。